オリンピックの開幕と同時に思うこと

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こんにちは、アリスです。

いよいよ東京オリンピックが開幕しましたね。
今回のオリンピックは、コロナによる延期で一時は開催も危ぶまれたものの
ナンダカンダと開催されています。

皆さん観戦してますか?
私が感じていることは、今回の東京五輪、ニッポンの膿が出されたなあということです。
違和感が払拭されない気持ちでTVを眺めるのは私だけでしょうか?

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2020東京五輪

まず、タイトル。
開催は2021年だけれど、正式名称は2020年ということ
2020東京五輪と掲げられ開催されています。

「中止にするわけないだろう?」
開催するのかしないか大いに混乱していた私たちを横目に
どこかの誰かがほくそ笑んでいそうですね。

そうは言っても、2020年仕様で作ってきたすべてのグッズや広告を
今更2021年に変更するなんてとんでもない!
開催地の経済的メリットをもたらす祭典どころか負の遺産となるのは何としてでも避けたいところ。
こちらは致しかたなしというのもわかります。

そう、ただでさえコロナは、もうすでに多くの人、時間、感情を犠牲にしたのですから。


始まるの!?始まるんだね!?
いつまでたっても半信半疑だった東京五輪。

聖火の最終ランナーは、テニスの大坂なおみ選手でしたね。
Twitterではこんな心無いtweetsも散見されました。
「純日本人に走って欲しかった」
「ランナーは日本語がきちんと話せる人でなければいけないのでは」

どんなにグローバル化が進んだとしても、どうやらこの日本という国には
外国人を差別や偏見の目で見る人たちがまだまだ多いことも否定できないようです。

Twitterで呟かれているのは氷山の一角なのでしょう。
もちろん好意的にとらえている方も大勢いることもわかっています。それを願ってすらいます。
彼らは否定的な意見を言っているつもりもないかもしれません。
それでも、意図的な小悪魔より天然ボケの上目遣いの方がよっぽど罪深いように
彼らの言葉のナイフは私たちの心にひんやりとした影を落としていきました。

ちなみに、大坂選手の前に聖火を持って走っていた、野球界のレジェンド・王貞治さん。
公表されている情報によれば、王さんは中国国籍の方で、日本国籍は保有していないそうですよ。
彼は生まれも育ちもずっと日本で、日本で野球人生を過ごし、
自身はまごうことなき日本人である!と仰っています。
彼の国籍のことは誰もtweetしないのは、日本にいた時間が長いから?見た目が日本人と変わらないから?
それとも・・・?


国歌斉唱では、MISIAさんが登場しました。
LGBTのパレードにも参加したことがあり、セクシャルマイノリティ系の活動にも積極的なMISIAさんは、
LGBT系の運動で象徴として使われるレインボー、虹色のドレスを着用して『君が代』を歌うべく登場しました。

同性婚も何もかもが進まない国、この日本でレインボードレス姿で登場すること。
それはまるで、明治時代の初期に侍が初めて洋服を着たかのように
がんばってがんばって追いつこうとしているとしている
そんな姿をイメージしたのは私だけではないかもしれません。

多様性と画一性

豊かな海に囲まれた島国、ニッポン。
その地理的環境が生み出した恩恵を受けながら
諸外国に比べると「人類みな兄弟」という潜在意識が私たちの中には思いのほか醸成されているのでしょうか。

それは時として大陸諸国に溢れる多様性や「異」に対する感受性という点で非常に弱弱しく
いつの世もニッポンがトップバッターになれない一つの理由となっているように思えてなりません。

前回のリオオリンピックの閉会式では、
マリオの緑色の土管から、安倍前首相がマリオコスプレで出てくるという
予想外の演出さえも付け加えられていました。
今回の開会式ではその流れを汲む演出はひとつもなかったのは大人の事情なのでしょうか。


はてさてどうやらオリンピックとはメダルの多さだけを競う祭典ではないようです。
“2020”東京五輪。
あなたは今、何を感じていますか?

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