こんにちは、アリスです。
2024年に新しいデザインの紙幣が発行されますね。新しくなるのは1万円札、5千円札、千円札です。
2021年には500円硬貨も変わります。
今回は、紙幣のデザインやその歴史について学んでいきましょう。
昭和5年(1930年)に発行された聖徳太子100円紙幣(通称 1次100円)。
昭和19年(1944年)に発行された2次100円札。
「日本銀行兌換券」から「日本銀行券」に変わっています。
昭和20年(1945年)に発行された3次100円札。
昭和21年(1946年)に発行された4次100円紙幣。
透かしが「鳳凰」と「桐」2種類あり「鳳凰」の方が希少価値が高いです。
昭和25年(1950年)に発行された1000円札。今の形状に近づいてきました。
昭和32年(1957年)に発行された5000円札。
昭和33年(1956年)発行の一万円札。
聖徳太子の表情はどれも同じに見えますが、装飾のデザインや色使い、サイズなど変化が見られますね。
人間は、人の顔や表情を見分けることに慣れているため、お札の肖像がほんの少しずれていたり、ぼやけていたりすると、気が付きやすいそうです。
つまり、お札に肖像を使うのは、人間の特性を利用して偽造防止を図るためなんですね。
1-2.動物
動物は、ねずみ、いのしし、馬、にわとり、ハト、ライオン、鶴(タンチョウ)、キジ。
また、想像上の動物である鳳凰が、現在の一万円券などに登場しています。
どの画もとっても芸術的ですよね。かなり小さいモチーフでも描写が非常に細かく、躍動感があります。
財務省は、偽造防止の為にだいたい20年に一度お札のデザインを変えています。財務省と日銀、国立印刷局の3者が協議したうえで、最終的には日銀法の定めで、財務大臣が決めることになっているんですよ。
お札は、日本の歴史・美術・技術そして伝説をmixした文化の集大成とも言えますね。
2.お札から読み取る時代背景。兌換紙幣から信用紙幣へ。
貨幣の歴史にも少し触れますね。
聖徳太子の肖像の載ったお札。最初の1枚は、「兌換銀行券」と書いてあるのがわかるでしょうか。兌換(だかん)とは、交換する、取り換えるという意味です。
兌換銀行券から日本銀行券へと記載が変わったのにはどんな意味があるのでしょうか。
2-1.金と交換できるかできないか
時代は明治にまで遡ります。
明治維新後にできた様々な銀行は、もともとは両替商だったそうです。両替商は自分が持っている金を担保に、それぞれが勝手に紙幣を発行してたそうです。
中には、持っている金の量以上にお札を刷ってしまう、なんて両替商もいて、政府はこれを阻止する必要がありました。
そこで明治政府は“お札を発行できるのは、国の信用がバックにある銀行だけ”とすることにしました。これが中央銀行、日銀です(1885年)。
中央銀行が持っている金の量の分しかお金を発行できない制度を“金本位制”と言います。
2-2.金本位制を初めて導入したのはイギリス
金本位制を世界で初めて法律に基づいて採用したのはイギリスでした。
当時、イギリスは産業革命によって大量生産した商品を世界中の国々に売りたかったのですが、他国の通貨価値に不安があったのです。
そこで世界共通の価値を持つ金と通貨の交換を国が保証すればその国と安心して取引できると考え、イギリスはこの金本位制を国際通貨制度として世界に普及させました。
しかし、第1次世界大戦後(1918)戦争によって膨らんだ対外債務の支払いのために金が必要となったため、通貨との兌換をストップせざるを得ませんでした。そこで各国とも金本位制を中断し、通貨の発行量を中央銀行が調整する“管理通貨制度”に移行したのです。
日本では、1942(昭和17)年には日本銀行法が制定され、金本位制度から管理通貨制度へ移行することとなりました。
金本位制の時は「千円札はいつでも千円分の金と代えてくれるからこれに価値がある」と人々は思っていました。ところが金本位制をやめたということは、金が実際にあろうがなかろうが、人々が「この紙切れはお金だ」と信じていることを頼りに、お金として機能するようになったということです。このような紙幣を“信用貨幣”と言っています。
難しい話が続きましたね。
貨幣の歴史を辿ることで、価値・信用・権力など様々な感じ取ることができるかもしれません。
(この記事は、日本銀行・国立印刷局HPを参考に作成しています。)
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