こんにちは、眠りねずみさん。
アヌンナキの話を相当気に入ってもらえたみたいですね。
アヌンナキについては大昔のことがある程度分かっているのに、現代に近付くほど痕跡は消えています。
あからさまに消されているかのように感じる部分さえありますね。
不都合な真実ってことなのかもしれませんね。
Go Toキャンペーンを強行する違和感
不都合な真実の旬のネタとしては、感染者が拡大していても推し進める旅行のキャンペーン。
私は常々こういう違和感があるときは利権絡みと伝えているんですが、これはまさにそうですね。
コロナ再拡大で猛烈な批判が来ましたが、結局東京だけを除外し、他の地域は強行。
どうやらこのキャンペーンを推進している所が、大物政治家に賄賂を渡したようです。
その額は4000万円ほど。
受け取った人は権力を駆使してごり押しします。
まあ、こんなのは氷山の一角です。
便宜を図るとはこういったことを示す言葉ですね。
いつの時代も誰かにとって都合の良いことは、他の誰かにとっては都合が悪いことになります。
そんなことは日常茶飯事です。
今みんなが知る歴史というのは、半分が隠されています。
歴史というのは常に勝者が作ります。
敗者の歴史は語り継がれず、勝者によって葬られます。
お祭りから葬られた歴史の真実を読み解く
大昔の歴史に関して文献などでもなかなか真実に辿り着くことが出来ず、神話や物語なのか、それとも真実の出来事を記したのかすら分からない書物もたくさんあります。
しかし、真実を読み解くきっかけを得られるものがみんなの周りにも存在するんですよ。
世界では大きな出来事や、歴史が変わる出来事が起きた日を祝う風習があります。
それをお祭りとも言います。
お祭りというと日本特有のもののように聞こえるかもしれませんが、世界中にお祭りは存在します。
そういえば今日は、7月22日か。
数日前の7月17日に、日本では大きなお祭りが開催されたのを知っていますか?
そう、京都の祇園祭です。
日本三大祭りの一つです。
京都 祇園祭
これは八坂神社のお祭りで、煌びやかな山鉾がお囃子を鳴らしながら、お稚児と言われる子どもを山鉾に乗せ、祇園という地域を巡行するものです。
祇園祭の由来について、一般的な説明はこうです。
もともと祇園御霊会と呼ばれ、疫病や非業の死を遂げた人の怨霊を鎮めるお祭り。
869年に京都で流行した疫病を“たたり”とし、これを鎮めるために神輿を担ぎ、鉾を立てて神泉苑(平安京にあった庭園)へ向かいました。
これが山鉾巡行の始まりとされています。
祇園祭は町内に病人が出ないよう、町ごとに自分たちの鉾を立てて練り歩く町人のお祭りなんです。
その数は33基。
お稚児さんは行政ではなく町人・町衆が話し合って決めます。
町人が支えてきた歴史があり、お稚児さんはそこの代表であるから、町に関係していない人は選ばれにくいです。
お稚児さんの役割
少しお稚児さんの話をしておきましょう。
お稚児さんは神様のお使いとされ、期間中は様々な制限が加わります。
例えば日常生活では女性と関わってはならず、食事などの身の回りの世話は父親の仕事になります。
公の場で地面に足をつけるのも御法度で、強力と呼ばれる男性に担がれて移動します。
行事も多く、学校は公欠になるそうです。
日々の儀式の合間に舞などの練習もあり、まわりのサポートと理解は不可欠ですが、それができる家はそう多くないでしょう。
お稚児さんを父と息子の2代、兄と弟で務めるケースが珍しくないのもここに理由がありそうですね。
そして、お稚児さんになるには、選ばれる必要があるだけでなく、なんと費用の負担があります。
山鉾ごとに差はありますが、1000万~2000万円の負担とされています。
どうです、驚きでしょう?
お祭りの日に神社で巫女のアルバイトでお小遣いをもらうのとは訳が違います。
サラリーマンの三年分程の年収が山鉾に乗ることで消える訳です。
ただ、選ばれる上で優先されるのは財力ではなく町との関わりの深さです。
お金のこともあるけれど、京都に代々根差した人で、山鉾の運営に関わる町の人が納得する人でないと難しいと言われています。
財力だけではダメ、財力に加えて町との深い関わり、これは実は血脈、血筋を重要視するという意味です。
財力にものを言わせ、子どもをお稚児さんにしようとしても京都では通用しません。
町内の人達がやんわりと、波風立てず人選から遠ざけるようにしていくのです。
京都人はハッキリものを言わない土地柄があるのは有名です。
例えば、あるお宅の奥さんが、近所のお宅の奥さんに道端で出会い、雑談をしてる中で、別れ際に『そういうたら、お宅のお子さん、ピアノ上手にならはったなあ~。』と言いました。
京都以外の県だと、『そうでしょう~、毎日頑張って練習して少し上達してきたんですよ~』など、誉め言葉と受けとるでしょう。
しかし、この会話の真意は、『ピアノの音が私の家までよく聞こえていますよ』という意味です。
それを言われた側は、窓を閉めてピアノを練習するなど、迷惑を気遣わなければと意識するわけです。
全て語らずとも察せよ。
という厳しい風習だと思われがちですが、勘違いしてはいけません。
これは最上級の気遣いです。
お稚児さんの人選も一見さんお断り、これには深い意味があり、よそ者を入れないことで昔ながらの祭りをそのまま後世に伝えていくことができるのです。
知られていない祇園祭の本当の由来
そんな厳格な形で守られてきた祇園祭ですが、世の中には知られていない真実があります。
それは由来の部分です。
祇園祭の本当の由来。
それは、祇園祭はノアの方舟が漂着した日に開催され、新しい人類の始まりを祝う祭りなのです。
旧約聖書にあるノアの方舟の記述。
ここに、世界の大洪水のあと、漂流していたノアの方舟は、7月17日に水が引いてきて山頂付近が顔を出した、アララト山に漂着したと記載されています。
おっと、ノアの方舟の概要などは、詳しい説明はしないから調べてみてください。
ノアの方舟は漂流中に、早く洪水は引かないか、早くどこかに辿り着かないと舟に乗る動物も人間も飢え死にしてしまうという状況になり、陸地を探すために白いカラスを飛び立たせました。
白いカラスは甘い声で鳴きながら飛び立ちました。
しかしカラスは戻りませんでした。
カラスを待ちきれずに次に白い鳩を放つことにしました。
鳩は陸地と先に放たれたカラスを見つけました。
その証拠にオリーブの木の葉を加えて舟に戻りました。
鳩が戻る頃、カラスも戻ったが、カラスは真っ黒になり鳴き声は枯れていました。
鳩は見てきたカラスの事情を伝え、そしてオリーブの葉を渡し、陸地を見つけたことも伝えました。
こういう誠実な姿を評価され、鳩は平和の象徴として扱われるようになりました。
では祇園祭の山鉾を見てみましょう。
山鉾の屋根には、鳥が飾られています。
そしてその口元には木の枝を咥えています。
祇園祭の山鉾の中には船鉾と言われる完全に船の形をしたものもあります。
他には、山鉾を覆うタペストリーには何やら和とは程遠い絵が描かれています。
イラクのバグダット宮殿、エジプトのピラミッド、他には、旧約聖書の「創世記」に登場する「イサクに水を供するリベカ」の物語。
別名「イサクの嫁選び」が描かれています。
ここまで聞くと、日本の祭りなのに何で?ってなりますよね?
普通なら気づくはずなのに、誰も気付かないんです、不思議ですよね。
思い込みが目の前の事実を消します。
表と裏は表裏一体。
祇園祭なんて一般的に言われてる由来と私が教えた由来は大違い。
では、存在する山鉾などの装飾などの事実から見たらどちらが正しい由来を示していると思いますか?
さらに。
ノアの方舟が漂着した日を祝う祭りは海外にもあります。
それはイスラエルのシオン祭りです。
シオン祭りは古代ユダヤの祭りです。
シオン。
シオンとは、イスラエルのエルサレムの別名で、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵で有名な最後の晩餐が行わた場所であり、ダビデ王の墓がある場所です。
そして、シオンはヘブライ語で【Zion】と言います。
英語読みだとザイオンとなります。
ザイオン、映画マトリックスにも出てきましたね。
コンピューターの支配から解放された民が住む場所を映画内ではザイオンと呼んでいました。
Zionで行われる祭り…。
京都で行われるGion祭り…。
祇園祭は八坂神社のお祭り、ヤはヘブライ語で神、サカは小屋。
そしてZion。
祇園祭の山鉾巡行の際は、『エィサ!』という掛け声と共に進みます。
エィサ、これはヘブライ語では、【救い主】という言葉です。
ヘブライ語、そして、ユダヤとの関連も気になるところでしょう。
京都で祇園祭が始まった時期は平安京開始の少し後です。
となると、祇園祭を持ち込んだのは…
日本の歴史上、謎の渡来人とされている秦一族が関連していると考えるのが私ですが、アリスや眠りねずみには少しずつ学んでもらうことにしましょう。
ちなみに京都の府章はイスラエルの六芒星と似ています。
ここまでの話を単なる偶然とするか、それとも隠された謎とするか。
裏を知れば知るほど、これまでの常識は根底から崩れ去ることもあります。
焦らず少しずつ頭を整理しながら歩みを進めていくとしましょう。
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