こんにちは、アリスです。
前回の白ウサギさんの新紙幣の渋沢栄一さんの裏話驚きましたね。
他の新紙幣の人も気になったなので調べてみました。
今回は津田梅子さんです。
五千円札に選ばれている人ですね。
一体どんな女性なのでしょうか。
津田梅子さんの人生
1864年12月31日、 東京都新宿区生まれ。
ほとんど英語が話せない中、6歳の時に最年少の女子留学生として岩倉使節団に加わり、 アメリカへ行きました。
お父さんの勧めだったようです。
留学してからは、フランス語やラテン語、数学、物理学、天文学等を勉強しました。
そして8歳の時にはキリスト教の洗礼も受けました。
次第に家族など、日本への手紙も英語で書くようになったそうです。
11年間のアメリカ留学を終え、明治15年11月に日本へ帰国。
しかし長いアメリカ生活で日本語を忘れてしまい、家族と話す時でさえ、通訳が必要なほどだったそうです。
その後、伊藤博文の紹介で女学校で英語教師をしていました。
女学校は今でいうお金持ちのお嬢様が通う学校の事ですね。
帰国しても女性が活躍できる場所はまだまだ少なかったそうです。
明治22年にもう一度アメリカに留学。
大学で書いた論文がイギリスの学術雑誌に発表される等、元祖「リケジョ」と言われる活躍ですね。
彼女はこのアメリカ留学で日本女性の進歩のためには高等教育が必要だと強く思ったそうです。
そんな強い想いを抱き、帰国。
明治33年に女子英学塾のちの、津田塾大学を作りました。
当時の女子大学はいいお嫁さんになる女性を育てるための学校でしたが、津田梅子が作った女子英学塾は英語を通じて視野の広い自立した女性を育成する先進的な大学でした。
余りの厳しさに脱落者はかなりの数いたそうです。
また、津田梅子はヘレンケラーとナイチンゲールに会った事のある唯一の日本人です。
昭和4年64歳でこの世を去りました。
まさしく波乱万丈ですね。
強い女性ですね。
アリスの疑問
国のお金を使って留学して、女性の教育向上のためだと学生時代に習った教科書にもありましたが、日本へ帰ってきて伊藤博文の紹介で女学校での教師のみ。
また、女子英学塾(津田塾大学)に関しても国立ではなく私立。
もちろん国も多少は支援はしていただろうけど、なんとなく腑に落ちません。
結果的に女子教育の為になったような気がしてなりません。
留学に関してはもっともっと他に目的があったような気がします。
渋沢さんも想像を超えた一面がありましたよね。
津田梅子さんもそのような裏があるのでしょうか。
白ウサギさんなら知っているかもしれませんね。
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