こんにちはアリスです。今回は新札シリーズ最後です。 千円札に選ばれた北里柴三郎さんについて調べました。
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お札に選ばれる人は色々と裏があって楽しいですね。
北里柴三郎さんの生涯
北里さんは日本の医学者、細菌学者、実業家です。「日本の細菌学の父」として知られている人です。第一回のノーベル生理学・医学賞の公式候補にも選ばれた人物です。
北里柴三郎さんは1853年に今の熊本県阿蘇郡で生まれました。
小さい頃からよく勉強する少年だったそうです。医学への道を志し、進学。
熊本医学校では医学の勉強しながら外国の先生の通訳をするために語学の勉強もしていました。
そして在学3年のうち、2年は先生の通訳をしていたそうです。
1875年に現在の東京大学医学部へ進学。在学中に教授の論文に口出ししていたから仲悪くて何度も留年したそうです。ものすごい時代ですね。
学生時代に「医者の使命は病気を予防する事にある」という考えになり、予防医学の仕事に進むと決意をしました。
卒業後は内務省へ就職。そこから、ドイツのベルリン大学へ留学。
そこで、世界で初めて破傷風菌だけを取り出す培養に成功、また破傷風の毒に対抗する物質を発見しました。 これは世界を驚かせました。
さらに血清療法という当時では画期的な手法を開発。
これがきっかけで欧米各国の研究所や、大学から北里さん「うちに、来てくれやー!」とかなりの声がかかりましたが、北里さんは日本の医療体制の発展の為に断り、日本へ帰国。
帰国後、福沢諭吉の助けと国の寄付により国立伝染病研究所を設立。 初代所長になり、伝染病予防と細菌学研究に取り組んでいました。
そこで1894年にペスト菌を発見するという業績を挙げました。
(ペスト、別名 黒死病といって1300年代にヨーロッパで流行した時はヨーロッパの全人口の3分の1が亡くなった伝染病の病原菌)
1914年研究所の管轄のゴタゴタがあり、北里さんは国立研究所の所長を辞任。
新たに自分のお金で現在の学校法人北里研究所を設立。
狂犬病、赤痢、発疹チフスなどの血清開発に取り組みました。
1917年、慶応義塾大学医学部を創設、初代医学部長、付属病院長となりました。
ちなみに慶応義塾大学の創設者は福沢諭吉です。
国立感染症研究所を立ち上げたときの福沢諭吉の恩に報いたのでしょうか。
男の友情…恩義。泣けますね。
明治時代以降、たくさんの医師会が乱立していましたが、1917年北里さんが初代会長となり、日本の医師会を統一、日本医師会が設立されました。
アリスの疑問
細菌学、生理学って表裏一体なところがある気がします。表は予防医学、ワクチンの開発。
これで多くの人が救われましたね。
一方、裏面では何か悪い事に使われる可能性もあったのではないかという私の予測です。
細菌って凶器にもなりますよね。北里さんの裏話あるのでしょうか。
白ウサギさんお願いします!とても楽しみです。
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