新紙幣1万円札に選ばれた、渋沢栄一の一生

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こんにちは、アリスです。

以前、紙幣についてのお話をしましたね。(⇒●2024年新紙幣発行。お札が物語る日本の文化と歴史を。)

今回は新1万円札に選ばれた渋沢栄一さんについて調べてみました。

 

 

生まれは1840年2月13日に埼玉県深谷市。

江戸時代の終わりくらいですね。

実家は農家でしたが、お米や麦、野菜を作るだけではなく、 青い色に染める事ができる藍玉という商品の製造販売や養蚕もしていたそうです。

ここで、渋沢少年は材料の購入や出来上がった商品を売ることでお金の計算は身についていたようです。

もちろん学校も行っていました。読書が大好きな少年、勉学と家の仕事の合間に剣術も習っていたそうです。

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やんちゃな青年時代??

渋沢さんの青年時代はちょうど外国と貿易するか、そのまま鎖国するかの議論が盛んな時代でした。

その時、渋沢さんは尊王攘夷派でした。

港がある横浜や、外国と繋がりたいと思っている人の家燃やしたろか!!とまぁ過激派ですね。

やんちゃボーイ!

いとこの説得があり焼き討ちはやめたそうですが、親や親戚にも迷惑はかけたくないという考えになり、
京都へ行きました。

京都から国の中枢へ

知り合いだった一橋家の家来の人のすすめで徳川慶喜の家来になったとのこと。

ここで、付き人としてフランスに渡りパリ万博や外国の新しい文化を体験したのです。

 

フランスで渋沢さんは大政奉還の事を知り、日本へ帰国しました。

その後、大蔵省へ入省。様々な仕事をこなし、成果もあげながらも揉め事もあったりと、大蔵省を後にします。

(アリス心の声…昔の将軍さんの家来を新政府の大蔵省、つまり国のお金を扱う一番大事なとこに誘うかな?私なら身内の仲いい人でまとめたいと思う。大蔵省も薩長出身ばかりで、埼玉出身の渋沢さんはやりづらい事も多かっただろうな)

新たなる道

大蔵省をやめてからの渋沢さんの人生はどえらいですね。

第一国立銀行いまのみずほ銀行のほか、東京ガス(現・東京海上日動火災保険)、王子製紙、東急、太平洋セメント、帝国ホテル、秩父鉄道、京阪電気鉄道、東京証券取引所、キリンホールディングス、サッポロビールなど、色んな種類の会社を作るの関わり、その数は500以上といわれています。

渋沢さんは、本当にたくさんの会社作りました。

その場合、財閥にして資産を一族で独り占めできたけど財閥にしなかったのです。

渋沢さんの考え方として、会社が利益を追求して競争することで、社会全体が良くなる、

儲けた利益はみんなの幸せのために使う、

そういう考えがあったのです。

日本の資本主義の制度を作ったと言っても過言ではない渋沢さんは 「日本資本主義の父」と呼ばれています。

かつて、ノーベル平和賞の候補にもなった事があります。

 

また、利益を度外視した慈善事業にも数多く関わっています。

例えば、日本赤十字社、明治神宮の創建に尽力したのは有名な話ですね。

そしてこの2つはある一族に繋がるものですね。

明治神宮は言わずもがな、明治天皇を祀っている神宮ですね。

では、日本赤十字社のトップは誰か知っていますか?

実は赤十字社のトップは天皇皇后なのです。現在は雅子様ですね。

上皇様が譲位されるときに赤十字社のトップも美智子様から雅子様に変わったのです。

つまり、渋沢さんは天皇家の繁栄に繋がる事業も手がけてたんです。

 

プライベートでは、渋沢さんには子どもの人数は20人いると言われています。

奥さんとの間以外にも子どもがたくさんいたそうです。

最後の子どもは渋沢さんが68歳の時の子だそうです。

 

渋沢栄一さんの考えが知りたい方へは「論語と算盤」という本があるのでおすすめです。

商売するには「そろばん」、つまりお金の計算ができるだけでは意味ない。

孔子という人が書いた「論語」、人はどう生きるのか、人としての振る舞いかたも商売人は必要だと彼は説きました。

この本は多くの経済人だけでなく、野球選手の大谷翔平選手も愛読しているそうです。

子供向けの簡単な絵本もあるから興味ある人は是非読んでみて下さい。

今の時代に通じる言葉も多くあります。

 

渋沢栄一さんは功績だけでなく、 1人の人間としても1万円札にふさわしい人だと感じました。

そして、多分フリーメイソン!!!

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