津田梅子さんですね。
津田梅子さんは、岩倉使節団のメンバーですね。
岩倉使節団ってそもそもなんだか知っていますか?
教科書では教えてくれない岩倉使節団の本当の目的
岩倉使節団は、明治維新期の明治4年11月12日から明治6年9月13日まで、日本からアメリカ合衆国、ヨーロッパ諸国に派遣されました。
岩倉具視をリーダーとして、政府首脳陣や留学生を含む総勢107名で構成されました。
使節団が海外に行った目的は以下の通りです。
- 条約を結んでいる各国を訪問し、元首に国書を提出する
- 江戸時代後期に諸外国と結ばれた不平等条約の改正(条約改正)のための予備交渉
- 西洋文明の調査
よく考えてくださいね。
明治維新という激動の時代に国の首脳陣が日本を放り出して、海外に行くとか普通おかしいと思いませんか?
みんなが教科書で習う岩倉使節団と実際の岩倉使節団は少し違うのです。
岩倉使節団の本当の目的は、明治維新後に、日本に金融支配を取り入れるために、フリーメイソンの元に学びに行くというものでした。
使節団という名を借りた、海外研修でした。
それを大きく見て西洋文明の調査と言っています。
研修をサポートしたのはトーマス・グラバー
グラバー邸とか聞いたことありますよね。
グラバー邸にはフリーメイソンのマークもあります。
でもグラバーはフリーメイソンではないと言われています。
グラバーは、ロスチャイルドの出先機関のマセソン商会の代理人。
だから厳密にはメイソンではないけど、でもメイソンみたいなものです。
グラバーは坂本龍馬と繋がっていました。
坂本龍馬を通じて薩長同盟に銃を大量に流していたのは、グラバーですからね。
そういえば、グラバーは岩崎弥太郎とツーショット写真が残っていますよね。
みーんなメイソンとの繋がりが深いってことですね。
岩倉使節団のメンバーのその後をみていくと、みんなそれぞれ各所の重役になっています。
各所?
それはね、政府、教育、軍、金融、メディア、公共交通機関、司法など。
支配構造をしっかり学んできたようですね(笑)
海外研修後の津田梅子さん
では、津田梅子さんは?
女性の社会進出の一端を担いましたよね。
役割については、謎の多い人です。
一番の実績は女性が社会進出したことで出生率が低下したということです。
私の見解ですが、津田梅子さんは人口削減を目論むメイソンと子孫繁栄を掲げる皇室との間に挟まれ、せめぎあいは起きていたのであろうと思っています。
しかしながら、女性進出を推進し、経済成長など数々の貢献も事実としてあり、今回の新紙幣の顔に選ばれたのでしょう。
津田梅子さんに焦点を当てては物事は見えません。
木にとらわれず、森を見る。
そうすると見えてなかったものが見えてくる。
こんなところでしょうか。
また何かあったら聞いてくださいね。
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